物事を誰かのせいにしている人は、決まって本人に原因がある事に気付かない。気づかせようとする前に、自分が変われ。
生きることと対峙することは、はたして「たたかう」という言葉だけで表現できるのだろうか。
今ある悪しき習慣をぶっ壊せ。ぶっ壊してこそ新しい事ができるってもんだ。
絶望の中にこそ、希望はある。希望の中には、希望は見いだせない。
後付けの言い訳はどうでもいい。誰かに言われてやるのではなく、自分の意思があっての行動ではないだろうか?
詰まっている時ほど、焦らない。騒がない。心を大きく持とう。
311を忘れてはいけない。今年の314の贈り物は、見知らぬ誰かの明日の幸せのために。そのぐらいしても、罰は当たらないでしょ?
心からありがとうを言える相手が、そこにいますか? もしいるなら、精一杯の感謝を伝えて下さい。伝わりますから。
何に時間やお金を使おうが個人の勝手だが、他人にその用途を強制される事ほど、しんどい事はない。
生きてるって事は、何かのリスクと隣り合わせ。 そのリスクを、如何にいなしていくかが、今後の鍵だと思う。
みんなみんな。みえないなにかと、たたかっている。 ひとりだけにげることなんて、ぜったいにできない。
損得を取るか、気持ちを取るか。それにはメリットとデメリットがある。 きっと、損得勘定を取った方が、メリットは大きいのだろう。
心がすさんでいる時ほど、人の温もりが欲しくなる。
多弁は、時として迷惑の源ともなり、時として発想の源ともなる。
凛として生きる。一本芯を通して生きる。今まで生かされてきた事に感謝しながら。
愛するひとより、自分を理解してくれるひとを。心からの理解は愛に勝る。
あれこれ考えたりネガティブに考えるぐらいなら、まずはやってみる。ダメならダメで、それでいい。
たくさんの出会い。たくさんの別れ。その年輪が、自分を育てる。
慌ただしい中でも、星を見上げる余裕は持っておきたい。それが、リセットのきっかけになるから。
気づけなかった事より、気づいて後回しにしてしまった事を、改めて思い返す。それは、案外、多い。
過去の自分は、案外いるもんだ。だけど、今の自分は、今ここにしかいない。
何かをしようと思ったら、後先を深く考えすぎてはいけない。深く考えすぎると、結局何もできなくなる。
雲の切れ間から、流れ星、ひとつ、ふたつ。願う事は、生きていられること。
自分に律した足かせが、重いと感じるか、軽いと感じるか。でも、大多数は重いと感じるのだろう。
辛さから立ち直る時の瞬間的な浮き沈みの繰り返しが、実はひとを育てる。
普段なかなか行かない近所を散策してみると、小さな変化が大きな変化になっている。
喜怒哀楽という感情があるだけ、まだ自分は死んではいない。
後ろ向きな事はいくらでも考えられる。前向きな事はいつでも考えられる訳じゃない。だから与えられた日を必死に生きる。
雑音のない昼。ひたすら自然の音に耳を傾ける。自然の音は荒んだ心さえ癒してくれる。
流されそうな事があっても、根幹の部分だけは流されないように。しっかりつかまろう。